ちょっとそこまで-斥候隊-

Spare me your lecture.

子供を育てるという事をションベンに行く前に考える


 人の親になるという事は大変な事だなーと思っていたし、いるんですが“これから“なこの国にいて少し違った考えを頭の片隅に置くようになりました。


 久しぶりにあった人がいつの間にか子供を抱いていたり、お腹が大きくなってていつの間に仕込んだんだよと思わず言いたくなる事が多いですし、昔の日本を彷彿とさせるような6人7人兄弟が珍しくないこの国。


 かたや、少子化に喘ぎ無駄な政策を必死こいて考え、人口減少に歯止めをかけようとしている我が国。


 違いと原因は何か?というのは割りと簡単な話でありまして、生活が自立してるかしてないか?と、そもそもの“認識“の違いが原因だと僕は見ています。


 日本の方が、生活が自立していると思われがちですが、自給自足が今なお成り立ち収入自体がエクストラmoneyである途上国のほうが実際は自立しております。つまりは、子供が増えてもあまり食うには困らない状態であり、子供を労働力として見た場合、家族にとっては差し引きゼロにもなりうる状態であります。


 それから“認識“についてですが、これが今の日本の少子化の本質とも云うべきところなんでしょうが、子供に“最低限かつ最高のシステムに載せる“事を日本人は考えるのに対し、ここでは“システムに載せるだけ“と考えてる人が多いことにあると思います。


 今日本では子供を育てる場合、大学までを念頭に入れる事が多いですし、学校では飽き足らず塾や習いごとをいくつも掛け持ちするような場合が少なくありません。それが、日本社会の最低限かつ最高の子育てシステムだと思われている方が多いのだと思います。当然、人の親になれば子供の将来を考え将来苦労しないようにとの想いはもつでしょう。でも、おそらくそれは過剰な子育てだと個人的には思います。


 一方、こちらではポコポコ産み学校に行かせ、その後は出たとこ勝負という極めて単純明快な子育てが目立ちます。もっと学びたいと思う自発的な子供には家族総出でやりくりをし、兄弟姉妹を助ける為に早くから仕事に出る子もいます。そうやって1つの世帯が形成されている事が多くありません。


 しかし、十分に生活に余裕ができ、ある種の“認識“が変われば日本の教育事情と似たような状況になる可能性があるのは否めません。親が子供の将来を考えるのは極めて自然であるからでございます。


が、


日本と途上国の狭間にいる僕としては、日本が過剰なんではないかと少し疑いを持ち初めております。塾、習いごと、はたまた大学までが常識となりつつある今の教育は、それそのものが子供の機会を失わせているんではないかと思うのです。プラス、親の子供を産む決断を鈍らせているんではないかと。


習い事で一見子供に機会を与えているように見えますが、習いごとが一生の趣味や仕事に繋がった例は余り多くはないんじゃないでしょうか?

大学は、社会人になるためのモラトリアムでしかないんじゃないか?と僕は思うわけです。



 でたとこ勝負で仕事してみて、「あれ?あれ興味あるかも」と思ったら大学に入るなり専門的な学習をするなりでも遅くないと思います。それから、趣味や教養というは早くつけるに越したことありませんが、習いごとをしたからといって教養がついたり、それが人間の幅を広げるなんて事は珍しんじゃないかと思います。


 頭が良いからなんなの?って話でもあると思いますしお寿司。


 親の気持ちは分かるけど、今の日本の教育の常識って本当に結果に裏づけられた常識なのかどうかをもう一度考えてみてもいいのかなと個人的には思うのです。


 完璧な親たりえないんだから、子供に自分で道を切り拓いてもらうくらい本来は、でたとこ勝負な育て方でもいんじゃないかなーなんて思うのです。



それじゃあションベンに行ってきます。


以上です。