ちょっとそこまで-斥候隊-

Spare me your lecture.

宗教ってなんなのよ?をションベンに行く前に憂う


 久しぶりにガチッとネタらしいネタがありましたので、記事にしたいと思いましたこんばんは。


 昨日、ひょんなことから「日本には宗教があるのか?」との質問に端を発します。一応クリスチャンが9割をしめるこの国では週末に教会へ行き、お祈りしたり歌ったり聖書を読んだりしており“神の存在“を信じております。なので、少し厄介だなーと思いながら「日本は仏教だけど、ほとんどの人は宗教なんて気にしてないよ」と答えておきました。


 それが不思議だったのかなんなのか知りませんが、色々聞いてきたのであくまで個人的な意見と前置きはしつつも、質問に答えておりました。
その中で「神は全てを見てる。災害や悲劇というのは神が我々に何かを気付かせようとしている。日本のツナミもその一部。」との有り難い説法を頂きまして、私めのスイッチがON致しました。


「神は不特定多数の人を殺す力も持っているんだね」「戦争も宗教を起因とするものが多いけど、神って残酷ね」「信じるものは救われるって基準はなんなの?神は数値化でもしてるなんて忙しいね」


 すると、「神は人を殺さないけれど、神が創り出したものの1つであるルシファーが戦争並びに諸悪の根源である」との解釈だそうで、もはやなんでもアリな世界だなと思いました。ルシファーが神の創造物ならそれは、神の一部であり神の責任でもある気がするんですが、そうはならない様です。


 個人的に一番納得がいかなかったのが、ムスリムの一部は間違いを教える宗教だとその敬虔なクリスチャンが言った事であり、もはやフィクションと化している宗教に良いも悪いもないだろうと。我々は他の宗教を批判する権利は誰も持っていないハズなのに、クリスチャンは良くてムスリムはダメという破綻した宗教論は如何なものなんだろうと思いました。


 勘違いを避けるために、僕のスタンスを説明するなら、僕は宗教について否定はしていません。信じたいなら信じればいいし、そうでないならそうでいいと。偶発的に起こる事象について何らかの“力“が働いているのかなーと思ったりすることもあります。ただ“救われる““天国へ行ける“なんてお伽話には否定的であります。


 我々が死んだ後に天国や地獄へいくジャッジメントがあると彼らは言うのですが、そもそもの話で何故天国へ行く必要があるのか僕には理解しがたいことであります。彼らの説明によると天国はエターナルライフを得、痛みや苦痛の無い完璧な世界なんだそうです。


 そんなのはコチラから願い下げでありまして、これも一種の“解り会えない“良い例なのかなと思いました。


 彼等は“天国“が言うなれば問答無用のゴールだと思っております。かたや僕はテンポラリーライフの中にこそ幸せがあると思っているわけであります。苦しい辛い事の方が人生多いでしょうが、たまにひょんな幸せを感じる瞬間があるそれで十分であり、儚い人の一生だから美しいと僕は思います。完璧な世界で何を目的にあるいは何を夢みたらいいのか僕には想像できません。毎日が日曜日なんて世界を天国が提供するなら願い下げであります。


 第二の人生なんてモノを考える時点で僕はなんか違うと思うし、それに期待するなら酒飲んでへべれけになって後悔したり、身体に悪そうでも限りある一食を楽しみたいと僕は思っております。


 それから、もう一つ言わせてもらうならキリスト教だけでは無いでしょうが、布教行為をしている宗教は、その国の文化を壊す側面も持ち合わせております。これは、言い訳の余地なしで僕は言い切っても良いと思います。


 唯一の神である存在を認める事で、傍から見れば異質な“儀式“は淘汰されていっております。伝統的タトゥー(成人になるための儀式)もジーザスがよく思わないという訳のわからない理由で否定されつつあったり、埋葬や葬式などの伝統的文化も統一されつつあります。その国の文化を徐々に均一化していく(宗教だけが理由でないにしても)側面を持っているのに、神を信じてやまないのはなんだか変だなと感じたりするんですがどうなのでしょうか。


 僕は信じていない。だけど彼等は信じている。それだけでそれ以上も以下もありません。でも、僕は思うのです。きっと僕と彼等は解り会えないだろうって。日本は特殊なのかなって。



ではションベンに行ってきます。


以上です。