ちょっとそこまで-斥候隊-

Spare me your lecture.

悩みを打ち明けるというマスターベーション


 世の中様々な悩みが多いなぁとfacebookやブログを鼻くそをほじりながら見ては悪態をつき眺めています。それから自己顕示欲剥き出しのポストに唐突に毒を吐いたらどんな反応をするんだろうと日々妄想しておりますこんばんは。


 さて、人の儚い一生については回る“悩み“についてでありますが、個人的な意見をメモ替わりに残しておきたいと思います。


 悩むからこそ日々人の人生は変化するんだろうと思うわけなんですが、悩みを不特定多数に投げる事や悩みを打ち明ける行為というのは実際のところどうなのよ?と思っております。


 大体僕の場合、悩みを人に話す時というのは既に腹に決めた選択肢がある場合のみです。ただ話してみて、その自分が腹に決めた選択を推してもらいたい。あるいは賛同してほしいくらいの感覚で話します。違う選択肢を提案されても、右から左へ抜けます。普通のマスターベーションとでもいいましょうか。打ち明ける必要も本来ありませんが、自己満足を得る為に自身の確認作業を人を使ってしております。


 もう一方で、選択肢を本当に決め兼ねていて他人の意見を決めるタイプの人は、問題に直面した事あるいはその瞬間を楽しむ劇場型マスターベーションとでもいいましょうか。SNSなんかで悩んでいる方達はコチラに大半がはいるんじゃないでしょうか。


 悩みなんてそんなもんなんだろうなと思うわけでありますが、悩みの最高地点はまず間違いなく問題が置きた直後の考えや思いを巡らせている時であり、人に話す時は既に最高地点から下降している時だと個人的には思うわけであります。


 だから僕なんかは悩みを聞いたりしてもいまいち真剣になれなくてですね『真意、答えは出ているんだろう?』とココロの中で思い、鼻くそをほじりながら悩みを聞いております。ただ、悩む事は誰でもありますし、問題の大小は違えど本人にとっては盲目的な大問題でありますから真剣なフリはしておりますが。


 大先輩であるある人の言葉ですが、人生60、70歳になって振り返ってみたら当時の悩みなんて大した悩みじゃなかった。との事なのであんま悩まないようにしてます。なのでどうでもいいんですけどね。


まぁそんなんで終わります。以上です