ちょっとそこまで-斥候隊-

Spare me your lecture.

言葉の重み

 誰が言ったか?より何を言ったか?が評価されるべき。とかっていう記事を目撃したのはいつだったか覚えていないけど、誰が言ったかのほうが大事なんじゃないの?って思った。正直僕はミーハーなんだろうけど。


 それから、よく見かけるライフハック記事?(なんだそれ。)が最近鬱陶しい。○○する5つの方法だとか、7つの事だとかなんだかは知らないけど、見ても全然記憶に無いんだよね。でも、鬱陶しいといいつつ見てる僕は相当ひねくれているんだと自覚させられたけど、ライフハック()は全然ライフに役立ってないと思う。すくなくとも僕には。


 そもそも”誰”が言った事で、なんでそうなのか?が大体どの記事も曖昧すぎる。説明は一応あるけれど、考えればわかる一般的なことしか書いていない。NEVERとかのまとめ記事となんら本質的には変わらないと思う。記事を見て、暇はつぶせるけれど身には一切ならない。それがライフハック記事の本質だと思う。


 間違ってはいない。でもまったく身にならず、記憶にも残っていないというのは、言葉が軽いからじゃないかと僕は思えてならない。この言葉の重みっていうのは、理由が凄い大事だと思うし、それ以上に”誰が”っていうのも相当ウェイトをしめているんだと個人的には思う。


 ”誰が”っていうのは別に有名だとか金を稼いでいるとかって事じゃない(いや相当関係あるけど個人的には)。その人の言葉が自分と共感する部分をもっていて、その人の苦労や苦悩、体験や経験が言葉を通して見えることや、その言葉を生むにいたったプロセスが見えることが凄く大事なんだと僕は思う。その共感や想像を読者に感じさせることができる言葉は重いんだと思う。


 だから、ライフハックは記憶にも残らず身にもならない。どこの馬の骨かもわからない"なんちゃら起業家"とかいうのが発する言葉が空虚で時に虚しく聞こえるんだと思うんだよね。


 でも結局僕はミーハーだから、その人がどんな事を成し遂げた人で、どんな想いをしてきた人なのかをどうしても見てしまう。それはやっぱり、誰でも知ってるような人の言葉には弱いよ。だって普通の人じゃないもの。とんでもない怪物みたいな人達だし。


なにかを成し遂げた人の言葉の方が重いに決まってるって。当然だよ。





そういう事なので、ソーシャルなんたら起業家は目障りなので早くネットの海で難破してもう出てこないことを祈ります。


以上です。