ちょっとそこまで-斥候隊-

Spare me your lecture.

誰でも通る道の先に自分が存在できるかどうか。

なんとなく且つぼんやりと僕が思っている事で、ちょっぴり意識している事がひとつあります。


(我々というかおそらく全ての人がと思うんですが、便宜上"僕"として置きます。)


 僕が鼻水を垂らしながらちょっとずつちょっとずつ人生というモノを肌で感じれるようになった時、自分の両親について一歩立ち止まって考える一幕が在りました。


 それまで"親"でしかなかった父母を、そこらへんの"大人"と同列に見てみて、比べるあるいは"親"は"親"だけれどもどういった人間なのか?を精査する時というのが、少なくとも僕にはありました。


 語彙が足らずにうまく説明できなくてもどかしいですが、今まで親としてしか見ていなかった親父やオカンを、自分が生きてきた経験や体験を元に"大人"として見る時の事であります。


 その時幸い僕は、鼻水垂らしながら育ち自由奔放に育ててくれた親に感謝する結果になったように思います、そして、自分みたいな子供を育てるのはさぞ大変だったんだろうと思わざる負えない一幕になりました。社会人になった時は、通勤地獄ラッシュに辟易し親父の気持ちも少しは理解したように思います。だらしなさが浮き彫りになった時は母親のありがたみも感じましたし、両親の彼らが通った道を子供の僕が少しずつ少しずつ経験値を獲得し、このRPGを進めているのかなと思ったりしています。


 こう感じた事は親には一切話してませんし話すつもりはないですけど、僕もできることなら自分の両親のように子供の人生になんらかの形で存在していたいと思っています。


 立派だとか凄いだとかなんてものじゃなくて、子供にルーツを問うような親になれたらと最近は思います。普段思っている事や感じている事、考えるプロセスなんかを対話できたら良いと思っております。


 そのためには色々と自分が先に経験して、もがいて苦労しないといけないのかななんて。子供がどう育つかなんてのはわからないけれど、少なくとも子供の最大の壁になれたら良いと思う。子供の進む道の先の片隅にでも自分がいれたらそれで人生満足なのかなって思う。まぁこんなこと言ってますけど子供いないんですけどね笑