ちょっとそこまで-斥候隊-

Spare me your lecture.

愛犬家というフードを被った化け物

 私的な事になりますし、個人的な想いであることを先に断っておきます。


 僕は犬を飼っていました。白い犬でモフモフで気の小さい中型のワンちゃんでした。スピッツといえばすぐ分かるかもしれませんが、うちの犬は雑種でした。でもとても白い毛並みの綺麗な犬でした。小学生一年生から一緒に育ってきて、高校の時に遠い国へと旅立ちました。


 僕はそのワンコの死によって、自分だどれだけの事をしてきたのか後悔をしました。これまでに無いくらい。


 末っ子の甘えと我がままが、これほどまでに後悔に変わったことはありませんでした。我々兄弟が拾ってきたその真っ白な犬は"兄弟が協力して責任をもって飼う"との約束で親からの許可を得、晴れてその可愛い真っ白な犬を飼うことができました。


 一番下だからという事もあり、散歩の義務も割りと甘かった僕は段々それに甘んじるようになり高校に入ったときは、自分の生活にかこつけて散歩をほとんどしなくなりました。それが義務、責務であったのにもかかわらず。


 犬は、従順に飼い主に従います。家に帰り可愛がるだけ可愛がって義務を果たさない。そんな僕にもいつも尻尾を振り、顔を舐め、これまでにないくらいの愛情表現をしてくれるその犬に甘えていたのでしょう。今考えるととても申し訳なくて情けなくて、、そんな気持ちでいっぱいです。


 真っ白なその犬は、僕が高校に入ったときくらいに”てんかん”の症状が出始め、段々と衰弱し始めました。てんかんの症状がでると、歯をむき出しにし、とても怖い恐ろしい表情になります。今までにみたことないような苦しそうな顔でした。目は焦点が合わず、症状が終わるまで何もできなくて苦しそうでいつも見るのが耐え難くて、一番嫌な時間でした。でも、症状が終わると、顔が穏やかになり、とても疲れたように眠りに落ちるのが常でした。食事の量もだんだんと落ちていき、ドックフードを以前のようにがつがつ食べることも少なくなりました。


 そんな姿をみるたびに、いつも後悔をしていました。それはもう遅いのに。


 そんな生活も終わりが来て、最後の瞬間を看取れたときに僕は思いました。「僕は犬を飼う資格は無い」と。


 生き物を飼うというのはこれほどまでに大変なんだと思いました。仮に室内犬であっても、散歩は義務であり犬の唯一の息抜きをさせなくちゃならないのが飼う者の責務だと僕は真っ白なワンコが死んで、自分の行いを悔い改めて思った。


 自分が忙しいからとか、疲れてるとかいうのは甘えでしか無い。できなくちゃ飼う資格が無いんだと僕は後悔したし、反省した。これまでに僕は真っ白なワンコから受けてばかりで、義務も責務も果たせていなかった。だから僕は犬を飼っては”いけない側”の人間なんだと思った。


 本当に後悔したし、自分がどれだけ甘えていたかその真っ白な犬に教えてもらったと思う。犬は先に死ぬ。一緒に育ってきたけど、僕が育っても関係性は変わらなかった。いつも傍で愛嬌を振りまいていた真っ白な犬に今でも感謝してる。


 もの凄く後悔してるからこそ、もし自分の子供が犬を飼いたいと言ったら、今度こそは責務を果たそうと思う。子供が毎日散歩の義務を果たせなくても僕が変わりに。やがて子供がでかくなってお別れがきたらきっと気づくと思う。犬を飼うことはそんなに簡単じゃないって。