ちょっとそこまで-斥候隊-

Spare me your lecture.

我々の生活はオーバースペックかは知らないけど選択の自由があるようにみえて無い

 日本の生活がオーバースペックかどうかという問題は"どこ"と比較するかによって違うと思う。第三国と比べればオーバースペックだろうし、世界主要都市と比べればそれほど大差は無いかもしれない。ただ、日本は格差があるようにみえて、そこまで破壊的な格差はないように思う。これも、どこと比較するかで話は違ってくるものでもあるけれど、他人を出し抜いてまで人よりアタマ一つ抜ける事を、細胞レベルで嫌悪する社会的雰囲気が、どんぐりの背比べ社会を形成し格差の歯止めに成りえてる気が個人的にはしてる。


 そういった社会が果たして健全かどうかの議論はイケダハヤトあたりにブン投げるとして、今回は"選択"についてちょっと触れたいと思う。


 今でこそノマドだとかフリーランスという言葉が出てきだし、働き方の多様性あるいは生き方の多様性について目に触れる機会は増えたように思うけど、日本にはまだ選択があるように見えて実は無い事のほうが多いように思う。


 ここで海外を引き合いに出し「日本はこうだ。でも海外はこうだ。」というこじらせ理論を言うつもりは毛頭無いんだけれど、僕は海外のほうが無秩序でむちゃくちゃで色々な人がいたように思う。一方日本では、キチッっとしていて争いを好まず、不気味な秩序じみた雰囲気があるように感じてる。(※あくまで個人的(ry


 良いか悪いかの議論をしたいワケでは無くて、そう感じてるって話なんだけど、もちろん良いこともあれば悪いこともあるだろうと思うわけです。


 たとえば、社会になじめなくてニートになる。とか、都会が嫌で田舎暮らしをする。とかなんて話は日本だと結構話題になる。個人的には、1億人もいれば、そういう人もいるだろうし、なんら不自然なものでもないしそれも人生だからいいんじゃないの?と思ってるし、特段話題になるようなことじゃないと思うんだけど、結構注目があったりする。


 なんでなのかなーと思ってたんだけど、やっぱり日本の覆う雰囲気がそうさせているんだろうと思えてならない。日本は十分自由な国だと思う。自分が何かしたいと思えば、まだなんとかなる国だし、仕事を選ばなければ小銭は稼げるだろう。でも、日本を覆う"常識"という雰囲気が全てに靄をかけ、視界を悪くしてる。


 自分の意思さえあれば自由に選べる。でも、社会はそれを肯定しない雰囲気がどこかにある。多様性を認めることで見えてくる人間の生きる行為はどこか禁忌と化し、一様に"右へナラエ"をさせたがる。自由があるように見えて無い正体なんだろうと思う。


 じゃあこうしよう!だとかああしよう!だとかのキャンペーンは全然するつもりもないし、どうでもいいのが正直な所で、実際そういう人里離れたクマみたいな連中と仲良くなれるかっつったら、挨拶だけして遠目から観察するだけで仲良くなる気も全然ないんだけど、僕は存在自体を認知はできるし、理解もできる方なのでそういう多様性があってもいいんじゃないのってスタンスなんですよね。


 学校いっていい大学いって、いい会社入って、退職して奥さんにケツたたかれるなんていう話はごまんとあるわけで、そういうのよりまだ、波乱の人生のほうがストーリーといしてはいっぱいあると思うんですとね個人的には。まぁどうでもいいですけど