ちょっとそこまで-斥候隊-

Spare me your lecture.

小説家になるためにはHow toなのか

 このまま行けば表現の自由だとかネットの悪しき習慣だとかのエントリーが生産されて堂々めぐりっていう絵がにわかに予想できますけど、なりゆきを静観しようと思います。そこにあまり熱を持てないのが正直なところ。


 みなさんの価値観や好みは正直僕にはわかりませんし、どうでもいいことであるので押し付ける気もさらさらなければ、もの申すという気もありませんのであらかじめご了承ください。


 さて、小説家になりたいと思った僕が仮に平行世界にいるとして、その"僕"が「小説家になるため」というHOW TO本を読んでいたとしたら僕はちょっと考えてしまう。当然、表現者として最低限のルールや技巧というのは必要だろうとは百も承知の上だけど、それを仮に得たとしたら小説家になれるんだろうか。と立ち止まる場面がくるんではないかと思う。


 大切なことは他にあるんではなかろうかと。


 ルールや技巧も条件のひとつではあるかもしれないけれども、一番人を惹きつけるのはソコじゃないとあくまで僕個人的には思う。表現の仕方ひとつとってもそれは技術ではなく経験やその人柄を端的に表すものだと僕は考えているし、話の内容や展開そのものも少なからず書き手の性格を表すこともあると思う。


 なにもプロだけの話じゃない。商業的な世界とはかけ離れた個人の場であっても、書き手の人柄は伝わってくる。HOW TOが悪いといっているわけじゃない。当然ルールを知りたい人もいれば、技術を得たいと思う人もいるだろう。それが無料で読める世界というのは素敵な時代になったと思う。


 プロと素人を比べる意味があるのかと問われれば、意味はないと僕は答えるかもしれない。だけど、素人の表現の場でプロ以上のルールと技術を求められるのも、僕は意味がないと答えるかもしれない。


 触れてはいけないパンドラの箱を生産し、個人の場にも影響する不思議な世界。ここまでいくと自分も表現の自由云々だとかネットの悪しき習慣だとか言い出しそうなのでやめるけれども、もはやウェブログは一般に普及し始めたことで一般のなものではなくなったのかなと思う。


 あくまで個人的には、自己啓発本やHOW TO本ではなく灰汁の強い書き手が透けてみえるようなモノが読みたいとはつねづね思う。問題発言かどうかというのはムズカシイ話だけれども、結果的に落としどころを皆で考えるのだからそれはそれでいいと思う。


 自分のアタマで考えよう。やネットは嘘を嘘で見抜け(ry、っていう言葉はネットをやる上で大事なのかね知りませんけど。


「ブロガーなら公開して恥をかけ、バカめ」

ということでポちっとな。


※尚あてこすりだとかではなく、単純に小説家になるためにはという視点で書きましたのでゲスパーは受け付けておりません。